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ハワイ123ドットコムハワイの最新情報ポリネシア・カルチャー・センターがオアフ島ライエに誕生して50周年

ポリネシア・カルチャー・センターがオアフ島ライエに誕生して50周年


ポリネシアカルチャーセンター  オアフ島ライエで、アオテアロア(ニュージーランド)、フィジー、ハワイ、サモア、タヒチ、そしてトンガの6つのポリネシアの国と地域を紹介し続けてきたポリネシア・カルチャー・センター(PCC)が、今年開園50周年を迎えます。

ポリネシア・カルチャー・センターの50年の歩み
1948年、焼け落ちた末日聖徒イエス・キリスト教会の神殿を建て直す費用を捻出するために、観光客に向けて「フキラウ」 ―”The Hukilau Song”を歌いながら地引網漁とルアウ(祝宴)、そしてエンターテイメント― を行ったのが、後のポリネシア・カルチャー・センターの始まりです。

1951年、同教会十二使徒の一人であるマシュー・カウリーは、ニュージーランドから来ているマオリの教会員がライエに滞在している間、マオリの伝統的な家屋に住まい、工芸品を販売しマオリならではのパフォーマンスをして生活費の一部とすることを提案しました。そしてライエに滞在するポリネシア人全てにとっても有益なこの考えが、ポリネシア・カルチャー・センターの設立の構想へとなっていきました。

1954年、大管長会は2年制短期大学チャーチ・カレッジ・オブ・ハワイ(1974年にブリガム・ヤング大学(ユタ州)の分校となります)の設立を発表しました。
1957年、同短期大学の学生らの就業の必要性について話し合われました。

1958年〜60年、75名の才能あるポリネシア人学生らのグループ「ハラウ・イミ・ノエアウ」が作られ、小グループでワイキキのインターナショナル・マーケットプレイスでパフォーマンスを始めました。次第に観光客の人気を得てゆき、パフォーマンス会場の必要性が出てきた時、「フキラウ」を行っていた会場に着目しました。

1961年、マッケイ大管長は、当時は単に「ポリネシアン・ビレッジ」と呼ばれていたポリネシア・カルチャー・センターの建設に許可を出しました。

1961年〜1963年の間、ニュージーランドの彫刻師や勤労宣教師らによって、ポリネシア・カルチャー・センターの各村の建物を、カメハメハ・ハイウェイ沿いの12エーカー(約4.9万u)のタロ畑に建設してゆきました。

1963年10月12日、ウィリアム・S・リチャードソン ハワイ州副知事やニュージーランド政府を代表してハリー・レイク財務大臣など、1,500名以上が出席する中、大管長会のヒュー・B・ブラウン大管長によって、ポリネシア・カルチャー・センターの開園式が執り行われました。開園から1年間の来園者数は175,000人でした。

その後50年の間、ポリネシア・カルチャー・センターは発展を続け、2013年現在、42エーカー(17万u)に拡張された敷地には、アオテアロア(ニュージーランド)、フィジー、ハワイ、サモア、タヒチ、トンガの6つの村とマーケサス及びラパ・ヌイ(イースター島)の各展示、レストラン、4Dシアター(2013年3月グランドオープン予定)、そして世界最大のポリネシアンショーの会場であるパシフィック・シアターが設けられています。今後、正面入口近くに面積を拡張してマーケットプレイスを新たに建設する予定です。

(2013年3月15日)

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